広島100年の計
広島は三方を山に囲まれ、川が流れ、海が近く、自然が近くにあります。
人がまばらにしか住んでいなかった大田川デルタに、425年前毛利輝元が築城を決めたときから広島の街は始まりました。
![IMG_0295[1]](http://kiharakosha.com/wp-content/uploads/2014/11/IMG_02951-300x225.jpg)
(広島城天守閣。かつては三層の小天守を二基従えていました)
ただ、地形的なことから、昔から洪水の被害が絶えなかった模様で、二代目の城主福島正則は石垣の無断修築を徳川幕府に咎められて、左遷されたことは有名です。
時代は進み、昭和42年太田川放水路が完成しました。戦時中、一時中断していましたが、広島100年の計と呼ばれる大事業でした。福島川と山手川を一本の放水路にしたので、漁業権補償や換地の問題で事業は大変難航した模様です。
太田川を上流に向かって行くと、広島市街地に入るあたりに大芝水門という水門があり、そこでは6:4の割合で、水量を放水路と本川に分流しています。
これにより降水量を最大8000mmまで処理できるようになり、広島市街地が洪水による災害に見舞われることはなくなりました。
しかし、近年の局所的な豪雨に対応できるかといえば必ずしもそうではないみたいです。処理しきれない雨水のため、市内の至る所で冠水の被害が毎年報告されています。
広島は日本の縮図と呼ばれます。災害と常に隣合わせです。行政の線引きや注意報は一つの指針として、自分の身は自分で守る意識が大切な時代になったと感じます。

